代表メッセージ

心が決まればやる気が生まれる。

「人生で一番頑張った時はいつですか?」

この質問に自信を持って答えられる人生を送ろう。

株式会社n・mark
代表取締役二宮貴之 ninomiya takayuki
神奈川県出身。1978年12月2日生まれ。横浜理容美容専門学校卒。
専門学校卒業後横浜市の美容室へ就職。その後一旦美容を離れバックパッカーで東南アジアを半年間旅する。帰国後再び美容師として働き始める。2015年9月1日足柄開成町に美容室sarah(サラ)をオープン。現在秦野、本厚木に合計4店舗展開。


愛読書・・『常勝集団のプリンシブル』『逆境を楽しむ力(心の琴線にアプローチする岩出式「人を動かす心理術」の極意)』
帝京大学ラグビー部監督 岩出雅之/著

何となく美容学校へ進学、そして就職

サッカーに夢中になっていたくらいで、特に将来なりたい職業もなく過ごした中高校生時代。進路を決める時期になり最初は大学に行こうと考えていたのですが、友達につられて美容学校へ進学しました。特に美容師になりたいというわけでなく、強いていえば物作りが好きだった事がきっかけだったかもしれません。

当時、美容学校は1年だったので美容師の仕事とは何か、大してわからないまま就活をして横浜の美容室に就職しました。初任給は確か13万円くらい。1人暮らしでしたので生活はカツカツでした。所持金200円なんて時もありました。そんな時は実家から通う売れっ子スタイリストの女性の先輩のお弁当をもらって食べていたりしました。

やる気スイッチが入った22歳

一方では理不尽な事で先輩に叱られたり人間関係で苦労する事もあり、「美容師辞めたい」と思う事もありました。しかし元来楽観的な性格の為気にしないで適当な感じで毎日を過ごしていました。

ところが22歳の時、このままじゃダメだと思い「どうせ美容師やるならちゃんとやろう」と決意しやる気スイッチが入りました。僕が真剣に「美容師になろう!」と思ったのはこの時かもしれません。

独立を目指し頑張ろうと思いました。心が決まれば成長が早い。

23歳でスタイリストになりました。

25歳に店長になるがサロンが崩壊

スタイリストになってから仕事が面白くなって来ました。そして順調に売上を伸ばし25歳で店長になりました。店長になった時はアシスタントに優しい上司になりサロンの雰囲気を良くしようと思っていました。

ところが問題が勃発しました。公私混同する経営者への不満が噴出し、僕以外のスタッフ、ほとんどが辞めてしまったのです。僕はお客様が付いていたので辞めなかったのですが、流石にサロンの信用はガタ落ち・・

「このままでは将来が見えない」と感じ、サロンを辞めました。同時に美容師の仕事の不安定さを感じて美容業界からも一旦離れてみようと考えました。

バックパッカーで東南アジアの旅へ

そこで僕がとった行動が100万円のお金を持って「バックパッカーでアジアの国々を旅する」事でした。それまで海外旅行といえばグァムに行ったくらいですが、自分を一旦リセットし「未知の世界に挑戦してみたい」気持ちでした。

タイ、ラオス、ベトナム、フィリピンなどを旅する中で「幸せってなんだろう」と考えるようになりました。当時は貧しいと言われる国々でしたが(今は経済成長している国もあります)、日本人よりもずっと幸せそうに見えました。皆ニコニコ笑っているんです。その風景は今も心に残っています。

「やり残した事がある」そう思い帰国

バックパッカーの旅も半年を経過した頃、「自分にはまだやり残した事がある」「何に頑張ってきたかと質問されても自信を持って答えるものが無い」と思うようになりました。

そして帰国後、神奈川県湘南エリアのサロンへ就職し再び美容師として働き始めました。29歳の時です。30歳を手前の異業種への転職は難しいと思いましたし、美容師もやり切ってなかったので再挑戦する気持ちでした。

その時から34歳までの5年間、僕はサロンワークをしながら何かに取り憑かれたように必死に練習しました。

人生の中で一番頑張った5年間

以前横浜のサロンで働いていた時は売上が一番の関心事でした。しかし「美容師は職人」です。とにかく「技術が重要」と考え方も変わっていました。

2011年3月11日東日本大震災の後、計画停電でサロンが消灯した後もうっすら陽の光が指す方向で真っ暗になるまで練習していました。自腹でアカデミーに通い参考書をめちゃくちゃ購入し、わからない所は先生のセミナーに出かけて行って質問し解決しました。

「人生の中で一番頑張った時はいつですか?」

この質問をされたら僕は間違いなくこの時の5年間だと言うでしょう。

36歳、自己資金500万で起業

そして36歳で独立します。独立に向けて貯金をしていましたので自己資金は500万円。自己資金で借金をし開業しようと計画していました。しかし容易にお金を借りる事ができず、両親に土下座して実家を担保にしてもらい2000万円借金をしてのスタートです。美容師になることを反対していた両親でしたのでこの時も渋々でしたが、両親には本当に感謝しています。

2人のスタッフを雇い結婚して子供も産まれていましたのでなんとしても軌道に乗せなければいけません。起業前働いていたサロンでは売上は300万円上げていました。その時のお客様がご来店くださればなんとかイケるだろうと予測していました。

しかし・・・甘かった・・・。

お客様が2人しか来ない日も!

その半分のお客様も来てくださらず、一日お客様が2人なんて日もありました。さすがにその時は怖かったですね。もちろん何もしなかったわけではありません。ネットメディアに広告掲載して集客チラシも撒きました。しかし、このチラシが全く反響がなく経費を圧迫しました。タフな精神力のつもりでしたが、体調を壊し1週間入院する時もありました。

口コミで評判を呼んだ技術力

しかし、やはり技術は嘘をつかないです。

「再現性のある技術」が支持されて紹介や口コミでお客様が増えていきました。その結果オープンから4ヶ月目になんとか軌道に乗せる事ができました。しかし僕自身の給料は1年無し。妻の貯金で食べさせてもらっていました。結婚していて本当によかったです(笑)

今振り返ると本当に無計画で、独立するときは僕みたいな甘い考えでは絶対ダメだとスタッフには話しています(笑)

6年間「離職ゼロ」で成長

創業から7年経ち、3人でスタートしたスタッフも30人まで増え、店舗も4店舗となりました。これまでも大変な出来事はありましたが、全て忘れました(笑)

確実に言える事は人に恵まれたこと。都内の有名サロンで働いていた人がこの土地に来て就職してくれたりしました。

新卒採用も始めていましたが6年間離職はゼロ。

本当にいい人しか入って来ないんです。

力を入れた心の教育

サロン経営で一番気をつけているのは「人間関係」です。「人に思いやりを持とう、優しくしよう」とか基本的な事ですが「心の教育」に力を入れています。

僕は先にお話ししたように29歳で「やる気スイッチ」が入りがむしゃらに頑張りましたが、そういう時期はもっと早い方が良いと思っています。その先の人生が楽しくなりますから。ですので自発的に頑張ろうとする心を育てるよう取り組んでいます。

経営理念「奏合」(そうあい)の誕生

スタッフが増えて来て考え方の基準や向かって行く方向を指し示す必要があると感じ経営理念や経営指針を作成しました。

経営理念は「奏合」(そうあい)と言います。「個人と個人が年齢関係なく心を通わせて奏で合い(かなであい)、共に成長しましょう」という意味です。

キレイな言葉で気に入っているのですが周囲の人には「顔に似合わない」と言われます(笑)

心が決まればやる気が生まれる

今の若い子は子供の頃からネット社会の為、情報はたくさん持っています。

しかし「心の成長の仕方」を知らないと感じます。心が成長し自分でやると決めればマニュアルなんてなくても自発的に練習して行きます。

そこで、自分で決めた事(目標)はしっかり守るよう話します。小さな目標でも構いません。それを継続する事によって自分に自信が付いて来るのです。

5店舗、50人、そして民泊経営

将来のビジョンとしてはまず5店舗、スタッフ数50人まで仲間を増やして行きたいです。そして幹部社員と民泊をやろうと話しています。

n・markは自然が豊かなエリアにあるので土地の魅力を色々な人に知って訪れていただきたいですね。地域貢献にも繋がるのではないかと思っています。

「辞めさせない教育」で美容を楽しむ環境作り

僕の人生、落ちたり上がったり、色々な出来事がありましたが、楽しく過ごしてきました。

最近嬉しい事がありました。入社2年目の不器用なスタッフがいて技術の習得をなかなか苦労しています。辞めたくならなければいいな、と見守っていました。ところがいつもの様に練習を見ていた時に「最近練習が楽しくなって来ました!」と笑顔で話してくれました。

誰にも諦めず続けて入ればふと楽しくなる瞬間が必ずあると確信しています。美容業界は離職が多いですが、この瞬間にたどり着くまで決して辞めさせない教育を築き上げて行きたいです。

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